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国宝の城

国宝指定される城の条件・基準

江戸時代までに建てられ現在も残っている現存天守12城のうち、国宝の天守は5城だということをご存知ですか?

江戸時代までに建てられて、現在まで残っている12基の現存天守。このうち、姫路城(兵庫県)・彦根城(滋賀県)・松本城(長野県)・松江城(島根県)・犬山城(愛知県)の5基が国宝に指定されています。この連載の現存天守の回(「現存天守はなぜ12城しか残っていないの?」)でも説明したように、残っていること自体がスゴイ現存天守。



国宝や重要文化財といった規定は、優れた文化財を保護・活用するために設けられたもの。1929年公布の「国宝保存法」にともなって文化財指定されたのは、すべて「国宝」という名称でした。これらは現在、「旧国宝」と呼ばれています。この時、名古屋城(愛知県)や広島城(広島県)の天守、仙台城の大手門や水戸城の御三階櫓など24か所の城郭建築が「国宝(旧国宝)」に指定されていました。

国宝「姫路城」の見所

ネスコの世界文化遺産に登録され、日本100名城にも選定されている兵庫県姫路市の国宝「姫路城」。慶長14(1609)年に建築された大天守を中心に、その美しい姿を現代に残す姫路城は、その歴史的価値はもちろん、日本の伝統的な美しい風景が楽しめるスポットとしても人気で、世界中から観光客が訪れます。

JR姫路駅から徒歩で20分ほどのところに位置する姫路城。姫山と呼ばれる山(高台)の上に立っているので、市内のさまざまなところから見ることができ、姫路のシンボル的な存在になっています。

国宝「松本城」の見所

松本城は、長野県松本市内にある平城。戦国時代の永正元年(1504)に島立氏が築いた深志城が前身といわれているが、はっきりしない部分も多い。この地を治めていた信濃守護の小笠原氏が平地の井川から山麓の林城に移った時に、家臣たちがそれを囲んで守るために支城を構えたが、この頃に深志城も造られたとされる。

その後、武田信玄が信濃に進出し林城を攻撃。小笠原長時が敗走すると、深志城は武田氏の信濃支配の拠点となる。しかし、天正10年(1582)3月に武田氏が滅亡、その後に信濃を支配した織田信長が10月に本能寺の変で討たれ、信濃の情勢が混乱(天正壬午の乱)。小笠原長時の嫡子である貞慶はこれに乗じ、旧臣などの支援で深志城を奪還する。この頃に、深志城の名を「松本城」と変えた。

 


国宝「彦根城」の見所

彦根城の最大の見どころは、国宝に指定された三重三階の天守です。牛蒡積みと呼ばれる石垣の上に築かれた天守には3種の破風様式が取り入れられ、二重目以上の窓には曲線の美しい華頭窓が使われています。その外観は実に壮麗です。

また、天守の内部には鉄砲狭間や矢狭間が数多く備えられており、美しいだけでなく実戦的な構造となっています。天守の内部は見学することができます。

下記の建物は重要文化財に指定され、彦根城の主な見どころとなっています。


天秤櫓(てんびんやぐら)
天秤のような形をしていることから天秤櫓と名づけられた櫓です。このような左右対称の形式は日本の城郭で他に目にすることができません。天秤櫓は、長浜城の大手門を移築したものといわれています。
太鼓門櫓(たいこもんやぐら)
本丸の表口をかためる櫓門で、城内合図用の太鼓を置いていたことから太鼓門と名づけられました。その背面は開放され、高欄付きの廊下となっています。これは太鼓の音を響かせるためと言われています。
西の丸三重櫓(にしのまるさんじゅうやぐら)
西の丸の北西隅にある西の丸三重櫓は、西側搦め手方面の守りの要でした。西の丸三重櫓は小谷城の天守を移築したものとも伝えられています。
二の丸佐和口多聞櫓(にのまるさわぐちたもんやぐら)
二の丸にあった四つの城門のうち、表門へと通じる佐和口の多聞櫓です。明和4年(1767年)に火災に遭いましたが、その後再建されました。
馬屋(うまや)
元禄時代に建てられたもので、彦根藩主の馬がつながれていました。城内に馬屋が残っているのは、日本全国でも彦根城のみです。
 

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